母、長期療養へ

12月に入った。
今のところ暖かな師走である。
11月27日には従妹の恭子が名古屋から旦那と二人で見舞いに来てくれた。
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母が9月21日に入院してから2カ月と2週間。
もっと早く退院できるのではと思っていたのだが、予想外に長引く様相を呈してきた。
嚥下の苦しさから食事をとらなくなったのが良くなかった。
おかげで体力は急速に落ち込み、全くの病人になってしまった。
相変わらず、痰が喉に絡んで吐き出すのに苦労してる。
心臓が弱ってるので息が苦しいらしく、時折つらそうな顔をして声を出す。
それ以外に声を出す様子はない。
疲れるのだろう。会話はあまりしたくないらしい。
時折目を開けて私を探し、見つけるとほっとしたように眼を閉じる。
栄養剤の注入は点滴だけでなく、鼻から直接胃に入れるようになった。
容体は安定しているが、回復しているとは思えない。むしろ低下傾向のような気がする。

そんな中でも母は運の強い人だとあらためて感じたエピソード。

11月の20日過ぎ、主治医の岩佐先生から話があった。
いすみ医療センターは短期というか急性というか今すぐ手当てをしなくてはならない病人の面倒をみるのが主務の病院で、長期にわたる療養型の病人の面倒を見る役割は別の病院に任せているとのこと。
ついては母ももう急性の疾患についての手当ては済み、あとは回復へ向けての栄養剤の注入程度の手当てで見守る事しかなく、当病院で入院を続けるには不向きな状況といわれる。
今すぐではないが、大多喜か岬の長期療養型病院を紹介して移ってもらうことになると心得ておいてほしいとも。
いすみ医療センターは自宅から5分。母は来夷以来ずっと治療を受けてきたところ。しかも新しく清潔な病院。
それに比べて大多喜や岬は15分はかかる。まして行ったことはない。
日々朝夕様子を見に行くのにも都合は今以上に悪くなる。(最近は昼一回にし始めたが…)
参ったなと思ってたつぎの日、担当の看護士小高嬢が、「おばあちゃん、もう手当てすること無いから5階に移ったらいいのにねえ」と呟く。
「なにそれ」と聞くと、「12月から5階がオープンするの。5階は長期療養型の患者さんを入れるようになるの」という。
跳びあがった。
「困った子だねえ。岩佐君。」である。
早速次の日岩佐先生に問い合わせる。
「5階がオープンするようですね、」
「ああ、そうですね。5階に入れるよう話してみますか?」ときた。
この人本当にやさしいのだが、どこまでわかってる人なのかよくわからない。
良く考えれば、オープンしたての5階がどこまの介護能力を持つか心配だったのかもしれない。
12月1日、5階オープン。
午後3時、母は晴れて5階の長期療養型病棟患者第2号となった。
<いすみ医療センター>
最上階、窓から明かりが見える部屋が1つだけある。
母の病室だ。
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<515と覚えやすい。>
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思えば今年の2月4日、急性の肺炎で入院。
いすみ医療センターは2月1日に新装オープンしたばかり。
ぴかぴかの病棟患者これまた第2号だった。
よくよくこの病院と相性がいいのだろう。
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2日の昼に初めて5階に行ってみて驚いた。
「暗い!」のである。病棟の廊下の電気がついていない。
大丈夫かなと不安になった。
気がついた。
1フロアに病室は25室。個室を入れても90人ぐらいは入院できるフロアだ。
そんな広いフロアに入院患者はまだ二人。しかも身動き付かない療養型患者のフロア。
患者の部屋とそこへの通路だけの電気をつけておけば、全部に明かりは無駄なだけだ。(それでも次の日からは明かりが増えていた。)
4階の忙しそうなフロアにいたせいか、あまりに静かすぎて気味が悪いぐらい。
それでも女性の看護士と介護の若者が常時二人ずついてほぼマンツウマンの状態。なんとなく新人みたいな様子がやたら目につくが…
確かにいいのか悪いのかまだよくわからない。

少なくともここに180日は置いてもらえるようだ。
今年の冬をこのチョー寒の自宅で過ごすことから考えると極楽だ。


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