11月勝手連② トライアングルコラボ

勝手連がわが家に到着する折、通り道にある「いすみ医療センター」に母を見舞ってもらった。
最近は眠ったように目をつぶっている状態の多い母も、やはりこのメンバーは特別な様子で、来訪を心待ちにしていたのだ。
残念ながら体力の消耗は著しく、歓談はできなかったが、それでもいつも無表情な顔に小さな笑みが浮かんでいた。

<ウッチャンの奥さんからの絵手紙>
その時は気付かなかったのだが、見舞いの折ウッチャンの奥さんが絵手紙を彼に託していてくれたようだ。
担当看護士の小高嬢が素敵だからと感動してベッドの横に張っていてくれた。
おしゃもじ隊の奥様方には本当に頭が下がる。
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「偶然」は「必然」の重なりと誰かが言ってたが、その「必然」が3つも重なるのはむしろ奇跡に近い。
勝手連初日の夜会食中、名古屋の弟から電話が入った。
「明日母を見舞う。」という。
弟と会うのは4年振りぐらいか。無沙汰もいいとこである。
弟は勝手連とほぼ同世代。ウッチャンとは本当に若いころ一度会っているがそれも大昔。皆とあってもらうのもいい機会と来訪を歓迎。

はたまたこの日は、玄太郎一家も婆さんの見舞いがてらいも掘りに来ることになっていた。
別々に来てくれれば婆さんの気がまぎれる日も増やせるのに、やはり偶然というのは都合良くはいかない…

22日午後和彦が大原に到着。勝手連にはヤーコン掘りを託して駅まで迎えに行き、そのまま病院へ直行。
昨年まで毎年のゴールデンウィークには名古屋に帰っていた母も、今年は無理だと止めさせていた。
弟が母と会うのは1年と7カ月ぶりだ。
私と違って繊細な心を持つ弟は母のあまりの変わりように絶句。出るのはため息ばかりだった。やむをえまい。

その夜は勝手連に弟を交えて会食。
みんなが勝手連奮戦記を本当に楽しそうに話す。
最初はなぜこんな世界があるのか理解できなかった弟にも、やっと事情がつかめてきたようで、感心というより驚いた様子だった。
だいたいわが家系の男どもは親戚も含めて「一人でジトッ」と生きるのが性にあってる輩が多い。(「閑居して不善」をなしてるわけじゃない…)
父はその代表格であり、戦後朝鮮から引き揚げてきた後は、一人で商売を始め家族を養ってきた。
生活に一応の目途がついた老後は、それまでの生涯と全く縁のないこのいすみの土地を購入し独居を楽しんだ。
息子たちもそれなりにその血を引いている。
弟も名古屋で父の興した小さな会社を継いで一人で苦労している。
しかし、いすみの勝手連は「一人でジトッ」とはかけ離れた世界なのだ。
無償のサポートや仲間で遊ぶなんてことは弟には考えられない世界だったんだろう。心の内では兄が羨ましかったに違いない。横顔にそれを感じた。
(これまた写真のないのが残念。)

23日昼前、前日が肌寒い雨の日だったので来訪を一日延期した玄太郎一家がやってきた。

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この家族も勝手連と会うのは初めて。
が、勝手連はもう帰京の時間。
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「一緒にいも掘り」は断念し、送り出し。
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<撮影者:皇太子>
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すぐに母の待つ医療センターへ。
弟は朝からずっと母のそばにいた。
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和彦ももう帰る時間になった。
玄太郎たちと一緒に大原へ送る。
今度弟が来る時は母はもういないかもしれない…
<わが家の玄関先>
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和彦を送った後遅い昼食を取り、わが家へ。
ここからは玄太郎の世界が始まる。
さっきまでは見知らぬ大人の世界を振りまわされて参ってたに違いない。
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当日の収穫。
<京いも>
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<筍いも>
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<ヤーコン>
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<ウコン→ターメリック>
ボスが植えてったが、使い道がわからない。
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さと芋は少ないかと思ったのだが、結構量があった。
和彦のお土産少々と勝手連各家族、玄太郎一家、ママさん宅と5軒が分け合ってもあまりが出た。
わが家のサトイモはとろりと溶けるように柔らかくうまい。
種イモが結構出たので、来年はこれも直売所の対象か…

母百歳の09年11月23日。
3つの世界の記念すべき邂逅の日だった。



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