テーマ:母
1月3日午前6時。母が逝った。
最近の母はずっと眠り続けていたが、そのままの姿で穏やかに息を引き取って逝った。
本当に逝ったのか半信半疑のままにいたら、宿直の医師が検診され「6時5分、死亡を確認しました。死因は老衰にしましょう。」と言われた。
なぜか悲しさはあまり強くなく、むしろ「お疲れさま」というのが正直な気持ちだった。
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12月に入った。
今のところ暖かな師走である。
11月27日には従妹の恭子が名古屋から旦那と二人で見舞いに来てくれた。
母が9月21日に入院してから2カ月と2週間。
もっと早く退院できるのではと思っていたのだが、予想外に長引く様相を呈してきた。
嚥下の苦しさから食事をとらなくなったのが良くなかった。
おかげで体力…
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勝手連がわが家に到着する折、通り道にある「いすみ医療センター」に母を見舞ってもらった。
最近は眠ったように目をつぶっている状態の多い母も、やはりこのメンバーは特別な様子で、来訪を心待ちにしていたのだ。
残念ながら体力の消耗は著しく、歓談はできなかったが、それでもいつも無表情な顔に小さな笑みが浮かんでいた。
<ウッチャンの奥さん…
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10月の勝手連はモッチャンが4日間いてくれて、帰ったのが19日。
この頃には母の下痢がひどくなりコンディションは最悪となった。
すでに心臓は大きく機能低下しているところへ下痢、食事もごく少量しか摂らなくなり、体力は見る間に落ち、呼吸をするのも苦しそうな状態。
これまではこの冬をどう過ごさせるかと考えて対応してたのだが、これじゃ年内…
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10月も半ばを過ぎてからは秋らしい天気が続いている。
確かに田舎ににあう時期だ。
そんな15日、荻窪からノーちゃんが訪ねてきてくれた。
ノーちゃんは高校時代のクラスメートで一時期わが家で下宿していたことがある。
そんなことから母もよく知っており、100歳の祝いも兼ねてやってきてくれたのだ。
秋晴れの昼前、これまたいすみ鉄道…
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先日送っていただいたコメントの詩を母が書にしました。
亭主がサボってて額はできてませんが、取り急ぎブログに載せました。
百歳の記念になると頑張らせましたら、最近では珍しいぐらい元気な字を書いてくれ亭主も気に入っています。
ありがとうございました。
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9月1日(火)母が満百歳を迎えた。
明治42年の生まれである。
しかも日常の生活で亭主はほとんどサポートすることがない。
それどころかいまだ記憶力は亭主以上だし、
いまでも俳句をつくり、書をしたためる。
そして美味いものを旨いという。味覚も確かだ。
大したもんだ、というより怪物に近い。
前にも書いたが、先日、「辞世の句」を…
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悪玄太がやっと帰京し、中一日置いた8月11日、予定していた最後の訪問者『勝手連おしゃもじ隊』が到着した。
気心の知れた大人だけの訪問者たち、母も心待ちにしていたチームだ。
いすみにもやっと落ち着きとやすらぎが戻ってきた。
今回のおしゃもじ隊、もちろん「ブルーベリー狩り」が主目的だが、毎回何か事前に打ち合わせ母にサプライズを運んでく…
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5月4日。早朝玄太郎一家が木更津へ潮干狩りに出立したのと入れ替わるように、岩佐夫妻がミツバチの交換を兼ねて朝早く到着。
これまたGW恒例となったおしゃもじ隊による婆さん激励会の始まりである。
当初の予定では、今年のおしゃもじ隊のいすみ来訪はブルーベリーの収穫に合わせて8月と話していたのだが、母のわがままで「おしゃもじ隊はいつお来し?…
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ママさんの春の始まりが都会でのお雛様なら、亭主の春は花樹の芽ぶきで始まる。
ふきのとうや菜花に舌の春を感じた次は目の春だ。
今は庭のゆきやなぎが目にいたいぐらいに咲き誇っている。
そして婆さんの春は、坐骨神経痛の回復とともに遅い書き初め(?)から始まった。
ハナの春はデイトから…相手は今まであまり見たことのない白黒
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2月も半ば、近所のお宅の庭ではもう早咲きの桜が咲いてる。
一方、亭主の2月は、どうにもこうにもてんてこ舞いの連日だった。
なにせ昼間ばたばたしている気分を夜まで引きずる毎日で、落ち着いてブログを作るなんて気持ちにさらさらなれなかった。
暮れに坐骨神経痛を発症させた婆さんを正月は杉並で看病し、正月明けからこちらで、寒い間は危険だ…
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ここんところ☂☁☂☁が続き地面がさっぱり乾かない。
☂の間をぬって剪定を続けているのだが、寒さもあって風通しの良いテラス農園はあまり長居もできない。
そんななかで久しぶりに長谷川ワールドの方での作業を思い立った。
紅梅が満開でなんとなく誘われた感じだった。
久し…
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12月の勝手連の翌17日午後、ウッチャンが奥さんと遊びに来てくれた。
お二人の友人だった方の三回忌で茂原まで来る予定があったらしく、わざわざ足を延ばしての来訪だった。
もちろん母は大喜び。特にカネ子夫人には逢いたがって、連絡のあった日からずっと心待ちにしていた。
どうせ男は邪魔だろうとウッチャンと二人で居間に退散。女性軍は食堂で何…
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11月の初め、またまた婆さんがデイサービスから変なものを持って帰ってきた。
なんでこんなに貰ったり上げたりするのが好きなのか、不思議を通り越して異常な気がするぐらいだ。
ただ先日の越前ガニのようにご相伴にあずかったりもするから、ご都合主義の亭主としてはやめてくれと言う意欲も薄れるのだが…。
明るい紫色の実の付いた小枝だった。(…
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11月15日。晩秋の気配はあまり感じないのだが、それでもやっとラビットアイテラスにも紅葉が見え始めた。
惚れてしまえばあばたもえくぼ。やはりブルーベリーの紅葉は美しい。
珍しく土曜日からの来訪で道が混んでたらしく、東京、茨城とも到着が昼過ぎとなった。
そして「勝手連の時だけ天気が悪い」というジンクスがまた始まったみたい…
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明日からひ孫の玄太郎お坊ちゃまがイモ掘りに来るってんで母は大忙し。
そのあたりの物をいろいろ集めてるがどうするんだろう。
母が何か考え始めると私が忙しくなる。
「玄太郎の歓迎のお飾り作るから、さつまいも掘ってちょうだい。」
「カキは甘ガキと渋柿姿が違うから両方…」
ドングリは自分で拾って来てた。
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9月1日、母99回目の誕生日だった。
明治42年(1909年 酉年)に生まれ、今年は白寿になる。
山口県防府市で生まれ、山口女子師範を出て、教員生活。
昭和16年に父と結婚してから現在まで、主人や子供に附いてソウル、名古屋、東京、沖縄、千葉とその居所を変えながら、20世紀のほぼ全部を生き抜いてきた。まさに女丈夫である。
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3月半ばから立て続けに鴨川の亀田病院に行く機会があった。
全国的に人気が高いらしく、なにしろ混んでる。
予約を取っての診察でも1~2時間ぐらいは待つことになる。本持参は絶対だし転寝もよくできる。しかも片道一時間はたっぷりかかるので丸一日つぶれる。晴れた日の通院など本当にもったいないと思うこともある。
しかし母の気に入りようは相当な…
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ちょっとブログが遅れたが、7月27日に茂原の七夕を見に行った。昨年だったかNHKのTV でも紹介されてたので今年は見せてやろうと思ってた。ハイラックスの時だったら出渋る母もクラウンになってからは二つ返事。現金なもんだなとは思うが、確かに乗り心地は良いし運転も格段に楽だ。しかもナビがついてるから知らないとこでも不安も少なくドライブ気分が違…
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