ムーミン列車が来た!  7月の来訪者①

クレームがついた。
「7月のブログが全く更新されず、コメントのしようがない」と嬉しい話…
自身も問題だなし思っていたのだが、本当に問題だった。
あわてて気を取り直して精力的に…

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なにせこの絵が問題の原因 !!!
本当にいい絵でしょう。
あたたかく、メルヘンチックで…
しかも我がいすみライフにとっての画期的な出来事にもなったのだ。

これについての内容があまりに濃すぎてブログを作ってる途中で消してしまい、がっくりと挫折してそのまま次に進めなかった。

話は昨年の春に戻るが、大学のクラス会の折の事だ。
昭和36年(1961年)に入学した我々は、卒業の数年後には在京のクラス会を始めた。
爾来40年以上にわたり毎年3月6日にお互いの健康を確認しあってきた。
そんな昨年の会に久しぶりにこの出来事の張本人『山家(やんベ)氏』が出席した。
同氏は関西が拠点の大商社に勤務していたこともありなかなか出席できなかったのだろう。
その回の近況報告で「好きな絵を描いてあちこち旅をしてる。」と話された。
十津川では老農婦を描き地元へ寄付したとか、京都では寂光院の門前の漬物屋を描いてその店に贈り喜ばれているとか…絵を描くことが本当に好きなのだなと感じた。
商社マンだけに海外までその絵筆は伸びていた。

で、亭主は頼みこんだ。
「ムーミン列車を描いてくれ! 菜の花と桜の中を走ってるやつを」と・・・
以前からわがいすみの苫屋になんとかムーミン列車の絵が飾りたくて、市内のギャラリーなどを探していたのだがこれまで手に入れることがかなわなかった。
山家氏「是非! 」との二つ返事で快く引き受けてくださった。
嬉しかった。快哉を叫びながら帰途についたのを記憶している。
<亭主が描いてほしいとイメージしていた写真>
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話が長くなるので端折るが、それから一年後同氏からメールが届いた。
菜の花の時期が来たので下見に行くという。
ぜひ拙宅にも寄って欲しいと思ったのだが、日取りが合わずメールのやり取りだけ。
この間メールで絵の題材となる写真が送られてきたり、進捗状況の連絡をいただいたりしたのだが結局会えずじまい。
この7月やっと「できた絵をブルーベリー見がてら届ける。」とメールが入った。
もちろん絵の添付もしてあった。
絵は2枚あった。
1枚はわが家近くの新田野の坂を下ってくる姿。(トップの写真)
2枚目は遠くに大多喜城を望む直線コースの上総中川付近。(今手元に写真がないのだ…)
いずれも20号の大作で、菜の花と桜に包まれながらトコトコ走るムーミン列車の姿だ。
のどかな中にも勇壮さを感じる素晴らしい作品だった。

新田野の絵をわが家に飾ることとし場所を考えた。
当初は自室の書画を架ける場所と考えたが、どうしても寄られた方皆に見ていただきたくて土間の正面の壁に掛けることにした。
描いていただいた目的にピッタリの場所だと思う。
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そして2枚目の絵。
どうしても話は長くなるのだが、同氏の訪れる予定日の数日前、お世話になっている県の農林振興センターの大山氏と小林さん(ご婦人)が頼みごとで来訪された。
その折、山家氏の絵をいすみ鉄道に寄付したいのだがと話をした。
いすみ鉄道の前の社長が大学の後輩(学部は違うが)であったことも山家氏の脳裏にあったようだ。
お二人は快く話をつなぐ旨引き受けてくださり、そのあとすぐ現社長も大変喜んでくださってるとの連絡をいただいた。
山家氏の来訪された7月14日(話に夢中で写真なし…)、ブルーベリーもそこそこに大多喜の駅に向かう。
生憎社長はどうしても予定が合わず不在だったが、総務部長の高橋さんと社長に直接ご連絡いただいた岬町の
楽働会・安藤さん、振興センターの小林さんが待っていてくださり、山家氏が直接お話しをして贈呈式なった。
(この一連の写真も撮れていない。 大失態である。わかるでしょ、ブログがなかなか書けなかったの…)

あれからもう2週間が過ぎたが、ブルーベリーの出荷と来訪者に追われて外出できていない。
大多喜の駅に飾られているはずの写真もまだ撮れていない。
なんとか今月中には大多喜へ行く。
改めてのご報告お待ちあれ。
山家さん、申し訳ありません。
お詫びはジャムで勘弁してください。

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